東京・京都弾丸旅行記 2日目 京都国立博物館「備前・備中・備後の名刀」展

展覧会概要

展覧会名:備前・備中・備後の名刀
会期:2024年2月7日~ 3月24日
会場:金工 1階 5・6展示室
展覧会案内ページ・作品リスト:https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/collection/2024/03/?date=07#Theme5747-07
備考:写真撮影禁止
入館料:700円

訪問日:2024年3月7日

東京と京都の刀剣ハシゴ旅、2日目の京都のお話。
北野天満宮→本能寺→京都国立博物館の3館をめぐりました。
ぜんぶまとめて書くと長くなるので分割しています。

一日目の記事はこちら

東京まで1万円で往復できるキュンパスなる切符が出るだと?通常料金で往復31,220円かかる民は飛びつくしかなかったのでした。そうだ遠征行こう。 キュンパスとはJR東日本から発売された「旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス」のこ[…]

古備前の刀をこれだけ刀工を揃えて見られる機会はそうそうないはず。備州の古刀は好みの作風が多いので、それが並ぶのはどんな光景かとても楽しみにしていた展覧会でした。
そして2023年1月に刀剣乱舞に登場した刀剣男士・八丁念仏、これを打ったらしい古備前助村という刀工。知らないので見てみたかったし、刀剣博物館とあわせて同時期に二振り助村の作を見られるチャンスでもありました。

展示物は29振り+資料1冊。楽しみにしていた割には二日間で100振りほどの刀剣を見たことや、移動の疲れ、一番最後に回った施設だったので時間がなかった…などの理由でだいぶ息切れした鑑賞になってしまいましたが記録に残したいと思います。

太刀が多めの展示ですがすべて刀置きで設置されていました。地震などから作品を保護するためとのこと。

古備前派

キャプション「古備前”派”とされているが各人の血縁や技術系統の関係性は不透明であり、工人や工房の実像は見えていない」
古備前はただただかっこよかったです。全体的に見てだいたい直刃調で小乱れの刃文。腰のあたりが張っているなーと思いました。

  1. 太刀 銘 正恒 国宝 文化庁
  2. 太刀 銘 友成 重美
  3. 太刀 銘 利恒 重文 京都国立博物館
  4. 太刀 銘 安清 重文 京都国立博物館
  5. 太刀 銘 成高 重文 京都国立博物館
  6. 太刀 銘 □忠(名物膝丸・薄緑) 重文 京都・大覚寺
  7. 刀 折返銘 備前助村 重文 京都国立博物館
  8. 小太刀 銘 景安 重文

太刀 銘 正恒 国宝 文化庁

太刀 銘正恒 平安時代・12世紀 国宝
撮影OKの展覧会で撮影したものです

元先にしっかり差がありふんばりつく姿。腰が太い。腰のあたりは力強いけれど、鋒側は優雅。小鋒。焼出しがおとなしい。
よく詰んだ肌。その具合は友成と比べるとよくわかる。小乱れ基調(キャプションでは「直刃調に丁子が交ざる」とのこと)の刃文で、刃縁が鮮明ではなかった。匂深い。地斑映りが見える。

太刀 銘 友成 重美

身幅があり豪壮。時代的に雉子股茎なのだろうけど、太いせいかちょっとおもしろい個性的な形。
腰反り強い。
大板目に小杢目交じる。沸々している。(これは未だに自分の中の疑問なのだが肌目がよく見える=肌立っている と言えるのだろうか…?)
小乱れに小互の目、小丁子、葉、足、鋒下の二十刃。これはカッコイイ友成。

太刀 銘 利恒 重文 京都国立博物館

太刀 銘利恒_全体
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

とても豪壮。鎬筋が高くて平べったく見える

太刀 銘 成高 重文 京都国立博物館

太刀 銘成高_全体
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/
太刀-銘成高
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

腰と鋒の雰囲気が今回展示されている正恒と近いものを感じました。焼き出しもおとなしい。
乱映りか地斑映りか、とにかく映りが強く立っているのが印象的。生ぶ茎。
刃文は小乱れ、小丁子、肌は小板目。

太刀 銘 安清 重文 京都国立博物館

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

よかった。これも正恒のような元先に見えるけれど、太刀ってそういうもの?(とメモにあるがおそらくハバキ元と鋒の幅の差のこと?)
腰反り強く、焼き出しがおとなしい。小丁子基調?物打ちから鋒側は直刃。匂出来。棒樋を描き流し。
肌目が見えないくらい詰んでいる。棒映り?あり、鋒の方は乱映り。

太刀 銘 □忠(名物膝丸・薄緑) 重文 京都・大覚寺

よかった。やっぱり雄々しいですねこの太刀。安清よりも反りが強い。
元幅が広い。これも焼き出しがおとなしい。刃文は直刃基調に小乱れ。小板目肌詰む。棒樋搔き流し。
淡く映りが立っている。

太刀ばかりだからみんな長大なのだけれど、いやはや膝丸の大きいこと…順番に見ていくと
「でかい」→「でかい」→「でかい」→膝丸「でっっっっか!!」。あと先ほども書いたようにとにかく雄々しい。よい。

刀 折返銘 備前助村 重文 京都国立博物館

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

前日に東京の刀剣博物館で見た助村と同様に、こちらも折返銘!なぜ?同刀工の作で連続で折返銘を見るなんて経験初めて!
しっかり長めに折り返されています。銘の下の、もともとの茎尻が「切」の状態になっているけれど、一度茎を切って短くした後に、更に折り返したということ?

身幅広い。乱映りが腰付近によく見える。刃文は小乱れに小丁子。金筋、砂流しがたくさん。小板目詰む。


青江派・三品派

順路的には青江派・三原派が先でしたが、ちょうど混んでいたので古備前を見てからこちらに来ました。
古備前のムキムキ、 ザ・太刀を見た後だとまさしくしなやか!太刀姿も雰囲気がまったく異なったのが印象的でした。古青江は益荒男ぶり・手弱女ぶりが作品によって分かれると感じていましたが、ここにあったのは後者…?いや古備前が上をいく強そうな姿だったのか?わからん。

ちょっと復習
古青江…鎌倉中期頃まで。反りが強い。銘が名前のみでシンプル。裏銘。代表作:狐ヶ崎の太刀、数珠丸
中青江…鎌倉時代末期から南北朝初期頃。銘に年号や居住地(備中国~)、官命などが追加される。
末青江…南北朝時代の延文年間(1356 – 1360年)を中心とした刀工。銘が一番長い。備中国住(人)〇〇/延文〇年~~のスタイルが多め。時代を反映してか長大。鋒が延びている。

  1. 太刀 銘 包次 重文 京都国立博物館
  2. 太刀 銘 備中国住人左兵衛尉直次作/建武二年十一月 重文 京都国立博物館
  3. 薙刀 銘是介 附鉄鎺 重文
  4. 刀 銘 備州住正広作 重美

太刀 銘 包次 重文 京都国立博物館

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

裏銘。肌はチリチリしているけれどいわゆる「縮緬肌」には見えなかった。ぼつぼつとした映りあり。直刃調、小乱れ、小互の目、湯走りとは違うけれど、刃文の上に帯状の焼きが一部ある。

太刀 銘備中国住人左兵衛尉直次作/建武二年十一月 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

一文字派

キャプション「傾向として古備前派の地鉄より大模様になるものが多く、映りをともなった焼き山の高い丁子乱れの刃文が特徴である。また古い時代の作例に焼落としが顕著に表れる点も見逃せない。」

一文字のトレードマークである丁子刃の中に則宗がいると、やはり異質というか、福岡一文字が確立される前後のあわいにいる刀工ということを改めて感じました。

  1. 太刀 銘 備前国則宗(名物二ツ銘則宗) 重文 京都・愛宕神社
  2. 太刀 銘 近房 重文 
  3. 太刀 無銘(助真) 重文 京都国立博物館
  4. 太刀 銘 助久 京都国立博物館
  5. 太刀 銘 助長
  6. 太刀 銘 (菊紋)一

太刀 無銘(助真) 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

太刀 銘 備前国則宗(名物二ツ銘則宗) 重要文化財 京都・愛宕神社

「名物名の由来不明。一説には銘の朽ち込みから『則国則宗』を誤読されたことによるとも。」とのキャプション。
今回の展示品リストでの銘は「備前国則宗」と表記されていましたが、別の展覧会は「□[前]国則宗」や「□□国則宗」だったこともありました。享保名物帳には「備前国則宗」で記載されているようですが……今現在の茎を見てみると、かなりボロボロで銘字はかろうじで見える程度です。
則宗の在名作を調べてみると基本的に「則宗」と名前のみの銘が切られており、この太刀のような「備前国」を含む長銘がイレギュラー。削れて鮮明でない”前”の字が”則”に見えて、”則国則宗”だったかも?と思えるのもわかる気がします。──ところで則国ってどなた?則国という刀工も同じ時代にいたのかしら?

少し前に見た日枝神社の国宝則宗と比較して、二ツ銘は腰側で反っている?反りが浅い?とメモしていました。後から画像でよく比較してみたところ国宝則宗の反りって広いんですね。
備前刀に多い「腰反り」は、ものすごく極端に表現するとナイキのマークのようにハバキ元あたり(腰)から上へ反る姿です。しかし則宗の場合、国宝則宗を含め上へあがるまでの幅がゆるやかでちょっと広いのです。腰から刀身真ん中にかけて広めに反っているという具合。

※もしかしたら元先幅で差があるせいで余計にそう見えているだけかも???

日枝神社のがまさにソレ。あの時なんだか反りが強いような?(数値上はそうでもない)、全体的に伸びて見える?と思った理由ってコレか!
二ツ銘則宗は日枝神社のと比較すると反りの広さが若干狭め。二ツ銘「腰側で反っている?」と思ったのは、国宝則宗との反りの広さの違いだったんですね。
あとは元幅先幅に差がある「ふんばりつく」姿と小鋒。

膝丸と同様、茎にハバキを付けていた時の凹みがあります。
私が見た時の光の当たり方だとすごく肌立っていてザラザラしているように見えました。肌は板目に小杢目まじる。匂深いのか刃縁がぜんぜんわからず…「丁子刃」であるように一部刃取りしているのかしら?鋒側から物打ちは直刃調~小乱れであるのがわかりました。刃中の働きは、切れる側に近いところに金筋がいくつもあります。

ちなみに二ツ銘則宗に附く鞘「号笹丸」は今回では展示されていませんでした。

長船派

一文字派を見てから長船派のエリアに来ると「ちゃんとしいてる感」というものを感じました。刀剣乱舞でのキャラクターがまさにそのまま当てはまるような…一文字がとある自由業の「一家」と呼ばれるのも、長船派が一見華やかで怖そうに見えるけれど(特に祖が)性格は優しいという、それに通じるものが実物刀剣でも見えました。

  1. 太刀 銘 景秀
    • 光忠の実弟とされている刀工。焼きの高い(刃から鎬筋までの刃文の面積が広い)丁子、蛙子丁子、小丁子が広がる。焼き出しと物打ちはおとなしい。鎬筋に八幡大菩薩の彫りがある。
  2. 太刀 銘 長光 重文 京都国立博物館
  3. 太刀 銘 備前国長船住人真光 重文 京都国立博物館
  4. 短刀 銘 備州長船景光 京都国立博物館(淺田幸一氏寄贈)
  5. 太刀 銘 備州長船則光/享徳二年八月日

太刀 銘 長光 重文 京都国立博物館

刃縁が明るい!そして全体的に締まっている!5つの目釘孔がありうち一つが埋められている。目釘孔多すぎ…それにしても長光っていつみても磨り上げられていますよね。

太刀 銘 備前国長船住人真光 重文 京都国立博物館

さねみつ。長光の弟子。在銘作が数少ない。
全体的に丁子丁子丁子。これも刃縁が明るいけれど、長光よりももっと匂が深くふわっとしている。

短刀 銘 備州長船景光 京都国立博物館(淺田幸一氏寄贈)

素剣が腰元にちょこんとあってカワイイ。匂口が藤四郎のようにピシッと締まっているタイプではなく、モヤモヤふわふわ~っとしたところに謙信景光との共通点を感じました。
そういえば長船正系のひとたちの短刀って景光以外見たことがないのだけど、それは時代故なの?

宇甘派(うかいは)

  1. 太刀 銘 雲生 重文 京都国立博物館
  2. 太刀 銘 備前国住雲次/建武乙亥二年十一月 重文 京都国立博物館

長船派や一文字の華やかな乱刃を見て、順路のままここに来るとガラリと雰囲気が変わりました。刃文が直刃基調。一気に静けさを感じます。そして反りの具合がなんか違う。
「備前国の刀工だが作風は備中青江に近い」とキャプションで書かれていることがあります。ここでは青江というワードは出ていたかな?「物流の関係で、大和山城の影響を受けた」というようなことが書いてあったのはよく覚えています。
こうやって比較するとナルホドなと…備前のエッセンスはなくはないんです。でも異風。おもしろい。

追記:ちょっと横道。↓これは刀剣乱舞に雲生が実装された時期のポスト。

こちらの展覧会で使われていた表記「宇甘派」が一番少数の模様。刀剣鑑賞をされている方はウカイ(鵜飼・宇甘)よりも雲類で覚えていたというポストをチラチラ見かけました。
刀剣乱舞では刀派の表記こそないものの、男士の説明には「地名の宇甘(うかい)が転じ鵜飼派と呼ばれる。」とあるので、もしかしたら今後はウカイの呼び方がより優勢になってきたりして。

畠田派・大宮派・長船派長義系(相伝備前)・小反り(こぞり)派

  1. 太刀 貼銘 守家(花押) 京都国立博物館(淺田幸一氏寄贈)
  2. 薙刀直シ刀 無銘(畠田真守) 京都国立博物館(下間基子氏寄贈)
  3. 太刀 銘 備州長船家守/應永元年十月日 京都国立博物館
  4. 短刀 銘 備州長船住長守/建徳□年十月日 京都国立博物館(永尚子氏寄贈)

太刀 貼銘 守家(花押) 京都国立博物館(淺田幸一氏寄贈)

貼銘!初めて見た!てんめいと読みます。磨上げで銘が切れてしまう際に、銘を薄く取って茎に乗せる技法のようです。折り返し銘のようにはっきりとした跡がなく馴染んでいました。
茎自体そんなに厚い部分ではないのに、そこから銘だけを取り去るのがすごい…!
しっかりと焼きの高い蛙子丁子。元から先まで丁子でした。この守家は初代なのか二代目なのかちょっと調べてみたけどわかりませんでした。

太刀 銘 備州長舩家守/應永元年十月日

※展示品リストにて、オサフネ字が「長船」ではなく「長舩」になっていたのでそのまま表記します。

長船派の中の正系(光忠→長光→景光→兼光の流れ)ではない少数派なんだそうです。
年紀銘が應永…応永ということは応永備前になるのかな?この時代の正系は盛光・康光・師光あたり?
ちょっとまだ心に引っかかるところを見つけられませんでした…

短刀 銘 備州長船住長守/建徳□年十月日 京都国立博物館(永尚子氏寄贈)

こちらは長義系の刀工。ということは相伝備前。彫り物や姿など全体的に相州伝を感じます。

おわりに

流れで見られるってよいですね!部屋を何度も行ったり来たりして何が違うのか、どこが好みなのかを比較するのがとても楽しかったです。どの刀剣もかっこよかったのですが、古備前の迫力は本当に圧巻でした。古青江も似てはいるけれどやっぱり独特だし、備前国なのに異なる雰囲気の雲類などバリエーションに富む流派が揃っているところもさすが刀剣王国だと思わされました。すごいよね…近いところでこんなにたくさん、後世に名刀として名を馳せる流派が興るなんて。
一方、小反り派や長義系は、言葉としては知っているけれどまだぜんぜん頭の中で回路ができていないことを再確認しました。知らなかった刀工たちも含めて新たな課題となりました。 おわり

太刀 銘正恒 平安時代・12世紀 国宝
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