月山刀を見に行ったら髭切の来歴にも触れることのできた話

刀剣見に行く=遠征となってしまった現在。仕事の出張というものは刀剣を見に行くチャンスとなるわけですね。この度仙台出張があったので、見に行けそうな展覧会をチェックしてみたところ、前から行ってみたかった山形市の最上義光歴史館で刀剣展が開催されていたので行ってきました!

仙台市から見て左側に山形市。山形市の南、福島寄りに米沢市。山形市から見て左上、日本海側にあるのが鶴岡市。

仙台駅から山形駅へはJR仙山線、もしくは20分に1本出ている高速バスで行くことができます。高速道路の山間の風景が好きなのと、座席の快適さから高速バスをチョイス。仕事終わり、曇天から夕空に変わる時間帯は写真のような色でした。

山形駅
JR山形駅

展覧会概要

展覧会名:令和六年度 常設展/企画展示1 
「鐵[kurogane]の美2024」 ~ 綾杉のきらめき - 刀工月山 ~
会期:2024年4月3日~6月30日
会場:最上義光歴史館
展覧会案内ページ:https://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=537203
入館料:無料
備考:ロビーのみ撮影可、展示室は撮影不可

訪問日:2024年6月14日

山形駅から徒歩15分ぐらいの場所に最上義光歴史館があります。私もだいぶ長いこと読み方を間違えていたのですが、最上義光の読み仮名はモガミヨシアキです。ヨシミツではなくて。
もともと義明と名乗っていたけれど足利義明(義昭ではない)という有名人がいたので義光に変えたそうな。展示品の最上家盛衰記より。

周辺は公園になっていてこんなかんじ。

最上義光歴史館

展示刀剣

  1. 短刀 銘月山 室町時代 赤羽刀(平成15年研磨)
  2. 刀  銘月山(目釘孔1) 室町時代 赤羽刀(平成13年研磨)
  3. 刀  銘月山(目釘孔4) 室町時代 赤羽刀(平成16年研磨)
  4. 太刀 銘月山定吉作二月十一日 室町時代 赤羽刀(平成15年研磨)
  5. 刀  銘月山正信作 室町時代 赤羽刀(平成16年研磨)
  6. 刀  軍勝作 室町時代 赤羽刀(平成14年研磨)
  7. 刀  軍勝作 室町時代 寄託資料
  8. 刀  銘月山(目釘孔3/綾なし) 室町時代 赤羽刀(平成13年研磨)
  9. 脇差 無銘 室町時代 柏倉惣右衛門コレクション
  10. 参考 大身槍 銘 肥前守藤原鎮政 江戸時代 寄託資料/最上義光家臣伝来

平成11年に山形県には17本の赤羽刀が戻ってきて、うち14振がこの最上義光歴史館に、
残り3振が出羽記念館にあるそうです。

月山の刀剣をまとめて見るのは初めてかも。
まずはサラッと全体を見てみると、月山の変遷を追ってゆく見方をするのが良いということがわかりました。すべて室町時代の作ですが、銘や肌に変化が表れてきます。

1~3はどれも銘が「月山」。刀工個人の名前ではなく集団名を刻んでいます
月山銘のものはどれも刃文が直刃調で、月山特有の綾杉肌が見られる刀たちでした。姿は腰反り~中反りで踏ん張りも付き、ぱっと見は優美な雰囲気がありました。

4、5は月山○○という形式で個人名が追加された銘それを許された上手な鍛冶による作刀であろうとのことでした。室町時代中期から見られるそうです。

6、7は軍勝という固有銘。月山刀工の一人ですが、単独で鍛刀できる力量を持っていた刀工とのこと。
軍勝の刀は反りが浅く全体的に太くがっしり。個人的にはあまり好みではないかな~と遠目からみていたのですが、キャプションを読んでから改めて見てみると力量の違いがはっきりと判りました。匂口が圧倒的にきれい。刃縁のほつれや刃文の表現が丁寧。

1~5までが綾杉肌に注力していたとしたら、軍勝作は綾杉肌+刃文にも力を入れているように感じました。特に7は南紀重国思わせるような地景のコントラストが美しかったです。

最後に8。こちらは綾なし月山です。
月山刀工は修験者として全国を行脚し、他の流派と交流しながら技術を磨いたそうです。その結果室町時代後期ごろには備前伝や相州伝の特徴を持った作品が生まれ、綾杉肌のない月山刀も登場したというわけでした。

今まで詳しく知る機会のなかった月山刀を、たった八振りでわかりやすく変化を捉えられたのでお得感…!とても勉強になりました!

最上家にあった鬼切丸

奥の常設展示室には北野天満宮所蔵の鬼切丸/別名髭切(以下 鬼切丸)の等身大パネルがありました。
そういえば鬼切という太刀がここにあったはず。鬼切丸と同名(号)の別の太刀があると思っていたのだけと……もしかしてコレのこと?
パネルの説明に鬼切丸の来歴が記されていました。

(省略)→新田義貞→斯波氏(最上家の祖)→最上家→明治13年(1880)に北野天満宮へ奉納
最上家は最盛期は57万石もあったのですが、お家騒動から改易となり最終的には1万石に。その諸々から鬼切丸を手放したのだろうとの解説でした。
こちらでは鬼切丸や髭切という名をほぼ使用しておらず、銘安綱(鬼切)と表記していました。文化財としての登録名称の方ですね。
もしかして過去に何かの資料を見たときに「北野天満宮には髭切がある」「最上義光歴史館には鬼切がある」のように表記がバラバラだったため、同名の別々の太刀があると思ったのかもしれません。鬼切丸=髭切=鬼切であることは理解しているのですが……刀剣乱舞の髭切の「名前なんてどうでもいい」というセリフが刺さりますね。すっかり名前で惑わされていました。
そんなこんなで鬼切丸の来歴の一部を確認することができたのは思わぬ収穫でした。ヨシ!

もっと満喫したかった…!

最上義光歴史館の周辺は美術館や山形城跡の霞城公園などがあり見所がたくさんあります。
しかしながら歴史館にて解説の方にたくさん説明いただいたり、東北のあれこれについておしゃべりしたり、のんびりと常設展示を見たりなどしていたらあっという間に時間が過ぎてしました。
いそいそとお昼へ。文翔館という場所に素敵なカフェがあると地元の方から教えていただいたのでそこに行ってみました。

とても立派な建物。昭和50年まで県庁舎及び県会議事堂として使用されていたんですって。

なんと映画るろ剣のロケ地

Tsuki Cafeランチ

Tsuki Cafe 文翔館喫茶室。インテリアがなんだろう、ロココっぽい?優雅な感じ。

田舎にいるとオシャレカフェに行く機会がガクッとなくなるので嬉しい^^

霞城公園

駅へ戻る途中に霞城公園の入り口が。この中に県立博物館とか郷土館とかがあるんですよ…行きたかった!!

なかなか急ぎの旅ではありましたが、月山刀をたくさん見られたし、髭切の来歴を知ることもできたし、一番の目的であった「行ってみたかった刀剣展示施設にも行く」もできて目標達成感がありました。

去年から今年にかけて少しずつ行ったことのない博物館・美術館を訪れていけているので嬉しいです。特に東北地方の。やっぱ地元とか、地域とか、近くのことを知りたいよね(距離的には全然近くないけど!!) ことしも残り半分。あと何館攻めることができるのかと考えながらこのお話を終わります。

↑今回のお話をラジオでも語りました。作業用にどうぞ!

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